男の子ってなぜだかわからないけど、ナイフやピストルが好きだ。(最も僕は腕力もないし、暴力は大嫌いなんだが)少年時代には、だれもがやるように「肥後の守」で小枝を削って刀(?)などを作った記憶がある。それでも、とことんぶきっちょの僕、器用な兄貴のようにはいかなかった。80年代の後半、ちょっと良い切り出しナイフをハンズで買った。さっそく、街路樹の枝おろしの小枝を拾ってきて、削ってみた。あの頃と同じようにおもしろかった。そして、あの頃よりも少しうまく削ることができた。削ったままの白木の状態はあまり趣味じゃなかったので、サンドペーパーでつるつるにして、着色して、ニスを塗った。細かいサンドを数回、かけては塗り、かけては塗り、てかてかの光沢に仕上げた。10本程作ったそれを見た友人が「おまえ、それをもっと作れよ。クリスマス頃に大阪のギャラリーで二人展やろうぜ。」その友人の名前は武田秀雄、大学の同期のヤツだが、大英博物館で個展を開いたほどの大物アーティスト、そんな風に声をかけてもらえたのがうれしくて、半年後のクリスマスにむかって、暇を見つけては木彫りに励んだ。宮本武蔵になった気分だった(?)。二人展までには100本作った。

愛用のナイフと
削り始めた木の枝、
二つのどんぐりは、
枝分かれの部分を
つかっている。

これは展覧会用に作ったもの
ではなく仲間内のスキー大会(?)、
ミナトズカップのトロフィー。
ちょっと太めの銀杏の枝(丸太)を
削って作った。この大会(?)も
10回を超え最終優勝者がこれをゲットした。

1999年、大阪で開いた
武田との二人展のDM

横浜市が主催するモダンダンスのコンペティション「横浜ダンスコレクション」。これは毎年フランス、バニョレで開催される、創作モダンダンスの登竜門として権威の「バニョレ国際振付賞」に直結している。(国際賞の日本代表を横浜のこのコンペで選出する。)2000年からの3年間、僕の木彫がパンフレットのヴィジュアルになった。(撮影は鹿釜孝博氏)